Ⅴ 追跡
レゼーヌの頭脳派女子、ことアリアナは、一人物思いに耽っていた。
静かに嘆息し、長くのびた黒に近い茶髪を、ゆるく編みなおす。
知的な彼女が見せるその物憂げな表情は、誰をも不安な心地にするだろう。
静かに、穏やかに、彼女は――ひどくイラついていた。
レゼーヌ王国アルディメント騎士団の参謀である彼女は、誰よりも先に物事の全容を見渡す必要がある。しかし今回のフローズンティアラを巡った事件については、全く、理解不能だった。
消失したティアラ。失踪したリン姫。
その二つが関連している可能性は高い。だが、不可解だ。
シャール妃国の後継者、リン姫の牢獄は七年前、何者かによって破られた事がある。衛兵は事切れ、鍵は壊されしかし彼女は何事も無かったかのように牢の中にいた。逃げようとした形跡は無く、何を聞いても、誰が来たか、何があったのかを答えようとしなかった。
そして今度は、殺された衛兵と壊された鍵、空の牢獄。
——七年前は逃げないで、今回は……気が変わった? 手みやげにティアラを奪って逃走? いや、最初からティアラが目的だった? 七年間も牢で暮らしてまで手に入れたいもの? だとしたら金銭目的では無いわね。でも、どうして?
何度考えても浮かぶクエスチョンマークに、焦りを覚えるアリアナ。
——いずれにせよ、牢への通路は普段隠されているし、リン姫が一人で脱獄したとは信じ難いわ。誰か……城の中に協力者がいるかもしれない。
騎士団長の部屋に行こう。このイライラ、ぶつけてしまおうかしら。いいわよね、皮肉の一つや二つでたっかいプライドズタズタにしても、と意気込み、ドアを開ける。
彼女が見せる、嵐の前の物憂げな表情は、誰をも不安な心地にするだろう。
目を開けても尚暗い視界。おそらくカーテンが閉められているのだろう。
自室のベッドで眠っていたのだ、と気づくのに時間がかかった。
——あれ、私、書庫に行って……。
夢にしては鮮烈で、現実にしては抽象的なあれは、何だったのだろう。
——ティアラとお姉様。生け贄と平和。
まったく訳がわからない。
『フローズンティアラを追うのだ』
マリアに会って、話がしたい。聞きたいことが山ほどある。
微かな明かりの中に、時計の針を見る。短針は四を指していた。
「お姉様、どこにいるの?」
ベッドを抜け、大きなカーテンと窓を開け放つ。
薄く早朝の靄がかかった柔らかな光と、ひんやりとした冷気がアリシアの頬を撫でていった。
「寒い……。あら? あれは……」
美しく整えられた広大な庭園の奥。巨大な正門の脇の通用口を、レゼーヌ国軍の旗を掲げた馬に跨がった兵士が一人、もの凄い速さで駆け抜けてきた。おそらく伝達係だろう。
失われたフローズンティアラの行方を、国軍が全力で追っている、と護衛のモランから聞いた事を思い出したアリシアは、寝間着をさっと平服に着替えると、レゼーヌ国軍の本拠地であるレゼーヌ城西棟へと向かった。
「失礼します! ご報告にあがりました!」
伝達係はやはり、西棟にある騎士団長室へと入っていった。後をつけてきたアリシアは、ドアにそっと耳を当てる。
「不審な二人組の情報が入り、兵士が四名宿屋に乗り込んだところ、三人が死亡、一人が重傷を追いました! 後から乱入してきた男と、女二人を取り逃がしました!」
「取り逃がした?! 国軍は能無しか!」
誰かの足音がして、アリシアは慌てて陰に隠れた。
「待て、まずどこの宿屋か報告しろ」
「はっ! カルスの宿屋であり――」
「カルス?」
廊下を歩いてきたのは、アルディメント騎士団の参謀、アリアナだった。彼女を前に、兵士が背筋を更にのばす。
「カルスって……。何故そんなところに?」
「確かに、あの町はここ数年ですっかりさびれたと聞くな。以前は王侯貴族の別荘地だったが」
「流行に振り回されて。くだらないわね」
ごほん、とアレックスが咳払いをする。騎士団長アレックスの別荘もそこにあることなど、情報通のアリアナが知らないはずがない。おそらく確信犯だろう。思わずくすり、と笑いそうになり柱の陰で口を押さえるアリシアに近寄る、もう一つの足音。
「なーにしてるんですか、お嬢?」
不意打ちに驚き、アリシアは飛び上がった。
「お、驚かさないでよ、紫乃!」
「そんなところに隠れて……。まさか、盗聴、ですか?」
はっ、と息を呑むアリシア。図星なのがバレバレだ。
「ち、違うのよ、紫乃! ああ、もう……」
「こんな時間に……何かあったんですか? ハヤトが行方不明とか?」
深呼吸をし、小声で神の名を呟いた後、アリシアはすべて語る事を決心した。
「紫乃……お願い。協力してほしいの」
「おはようございます、アリシア様。お召しかえのお時間です」
メイドのカリンは、いつものようにアリシアの部屋のドアをノックし、入る。
「アリシア様? 朝でございますよ。起床のお時間です」
ベッドの天蓋をそっと開け、こんもりと盛り上がった掛け布団を持ち上げる、と。
「!? ハヤト……を模した綿詰め?」
何人をも虜にする黒いつぶらな瞳が、ベッドの中からまるで嘲笑うかの如く、カリンを見つめていた。
第一章 戴冠式 —完—
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