Ⅺ 襲撃
アリシア姫一行が、カルスの街から出て数時間。街から出てすぐは舗装された道が続いていたが、少し進むと粗い砂利道が姿を現した。タプ港へ向かう道なら、馬は連れて行かない方が良いと言う老婆の忠告は正しかったようだ。
「おい」
「何?」
「あれ……」
モランの視線の先には、こんもりと道の中央に盛られた、大人一人分の背丈もあろう大きな土の山があった。
「やけに堂々と道の真ん中にそびえているわね」
「誰が作ったんですかねー」
「いや、何の為に……? ちょっと見てくる。姫様は、ここで二人と待っていて下さい」
いつでも抜けるように剣の柄に手を添えて、土山の方へゆっくりと歩み寄るモラン。
「気をつけてねー、モラン」
「ええ、姫様。しかし何故こんな物が……蟻塚、なわけない、っ————?!」
メキメキ、と不吉な音を立てモランの足下が崩れ落ちる。
「も、モランさんが消えたっ?!」
「馬鹿、落とし穴でしょ! ぇ?!」
いつの間にか現れた屈強そうな男が、剣の柄に手をかける紫乃の目の前でローリアの首筋にナイフを当てる。
「武器捨てな、そこの若い兄ちゃん」
「ローリアさん!」
「ローリア!」
悲鳴に近い声を上げるアリシアに、ローリアはにやりと笑った。
「こんな華奢で可憐な少女の首にそんなモノ当てるなんて……どうかしてるんじゃない?」
ローリアのかかとが、背後に立つ男の臑をしたたか打つ。ひるんだ男のナイフをはじき、鳩尾に拳を入れるローリア。
「ふんっ」
男は一つ、呻き声をあげて倒れた。
「ローリアさん、かっこいいっ!」
「モラン、モランっ大丈夫?!」
安堵の息も吐かぬままアリシアは、先ほどモランを呑み込んだ大きな落とし穴の淵に駆け寄り、彼の安否を確認する。後の二人も、後ろから様子を覗き込んだ。
「姫様……大丈夫です。こんな、原始的な罠に掛かるとは……はは。情けない……」
「だっさーい、モランさん。そんなところでいつまでもヘタってないで、早く登ってきなさいよ……って」
モランの青ざめた顔が自嘲するように歪む。
力なくだらりと下がった左腕を、幾筋の血液が伝って地面に落ちる。肩の部分が大きく破れたシャツの下にあるはずの切傷を右手で隠すモランだが、誰の目から見てもかなりの傷を負ったのは明確だった。
落とし穴の底には、強い悪意を感じさせる抜き身のサーベルが二本、覗いている。
「……よく避けたわね」
「だが登れん。……っ後ろ!」
モランの声に三人が後ろを振り返ると、今度はざっと三十人以上もの男達に囲まれていた。
「うわ、何なのこいつら」
「何にしても、囲まれたっぽいですよね……」
「降参した方が身のためさ。傷の分だけ値段が下がっちまうしね」
人数の多さに少し怯みながらも、それぞれの武器に手をかけアリシアを守るように立ち塞がる二人に、輪の後方からまだ若い、少女の声が掛かる。
男達が、その声に賛同するような笑みを浮かべ、恐怖に身がすくんでいるアリシアと護衛二人めがけ一斉に襲いかかろうとした、その時。
「お嬢に触るなっ!」
空を裂くような鋭い爆発音が響き、男が無言のうちに倒れる。
「な、それはっ!?」
「見た事ない? ピストルって言うんだ」
高鳴る胸を落ち着かせるように息を吐き、新たな銃弾を装填する紫乃。まだ薄く煙を立てる銃口の奥で、かちゃりという不吉な音が、やけに静まった辺りに響いた。
眉間に一つ、赤黒い穴の開いた、男は絶命しているらしい。
「……し、しの、こ、の……人!」
「モランさん、お嬢を!」
紫乃に落とし穴へと突き落とされるアリシア。モランがそれを片腕で受け止める。
銃声が二発、三発と大気を揺らし、静けさは一変、嵐の幕が上がった。
ローリアも大剣を取って参戦したようだ。
絶える事のない銃声と断末魔に、アリシアは狭い穴の底で小さくなり耳を塞いだ。震える彼女の背に手を添えるモランの表情にも、暗い影が差す。
あの銃は確か、紫乃が護衛としての初仕事の記念に、アリシアが贈ったものだった。レゼーヌでは珍しく、扱いが難しいそのピストルは高価なもので、終始自慢げに語る紫乃と、それを嬉しそうに眺めるアリシアの笑顔が、レゼーヌ城でのこの上なく平和な日常を象徴するように、モランの脳裏に浮んだ。
アリシアの為ならば人を殺める覚悟が、三人にはある。
それが彼女に受け入れてもらえない事は、当然であった。
遠くで、少女の嘆く声がする。目に映らない、“音だけ”の世界は、二人に未だその目で見た事の無い、戦争、という名の悲劇を連想させた。
「お嬢もモランさんも、無事ですか」
「ああ。……終わったのか」
返り血を体中に浴びた姿で、何も言わず頷く二人。
辺りには、元の静寂だけが残っていた。
「ほら、手を取って、お嬢。はい、モランさんも」
「ええ……ありがとう。っ!!」
穴から出て、地上に広げられた光景を目にしたアリシアが突然、嘔吐する。
陽の下で鮮烈な色を放つ、視界いっぱいの赤。血と共に濃く香る、死の匂い。
「嫌……そ、んな……」
アリシアは走り出した。一刻も早く、別な場所へ。何も見えない、聞こえない、匂いの届かないところへ。
「お嬢!」
「姫様!」
駆け出す紫乃の背後で、一足踏み出したモランが膝をつく。
「来ないで!」
よろめきながら走るアリシアに追いつこうとする紫乃を、振り返ったアリシアがきっと睨みつける。が、その顔は苦痛と悲しみに歪んでいた。
「来ないで……」
何かを恐れ、拒絶する瞳だった。その奥で揺らめくものは、一体。
「お、お嬢!」
呼びかけても彼女がもう一度振り返る事など無く、紫乃はただ呆然と、自分の両手に目をやった。
何も言葉が出ないまま、ただ血に染まったその両手を眺めていた。
走って、走って、走った。しかしすぐに限界が来て、泣きながら歩く。
立ち止まってはいられなかった。あの光景、あの匂い。全てが鮮明に焼き付いていて、立ち止まったら発狂してしまう、と。
そう、あれが本来の、彼らの仕事なのだ。主人を守る、その目的とあらば、人を殺めることも構わない。その為に彼らは————彼らは。
モランと二人、冷たい穴の底で遠く、少女の声を聞いた。耳を塞いでも、非情なまでに鼓膜を震わせる、深い嘆きの声を。
とうとうアリシアは、道端に一人座り込んだ。
人の、声がする。
「おいディージェイ、いい加減に靴を履け」
「嫌だね。あと十七歩なんだ」
「ったくおめーはいつもそんな事をだなあー。あんま当たんねえじゃねえか、お前の『迷える子羊感知機能』は……ん?」
大きいのと、小さいの。少しくたびれた法衣のようなものを身に纏っている。
「お姉さん、大丈夫?」
路頭で膝を立て、座り込んでいたのを心配されたのだろう。小さい方が、少し離れた所から声をかける。
「ええ……」
もう、微笑む気力さえも失ったアリシアは、近づく二人の姿をぼうっと眺めていた。
「十五、十六、……十七歩! ね? ぴったりだろ、ブラザー」
「はいはいブラザー、わかったから靴を履け」
目の前で、両手にぶら下げていた靴を履く少年は、アリシアよりも年下だろうか。少し掠れた高い声に幼さが感じられたが、すらりとした体躯で、背も伸び盛りの様だ。
「どうかしましたか? お嬢さん、お躯の具合でも……」
後からやって来たのは、二メートルもあろう程の大男。この人物の隣に立つと、誰もが小さく見えてしまう。立派なあご髭を蓄えてはいるが、目は若々しい。
「怪我したの? 血が付いてるよ」
少年の肩に掛かる程度に切り揃えられたストレートの金髪が、さらりと揺れる。
深い青の瞳に吸い込まれそうだ。しかし、彼が伸ばした指先が頬に触れた瞬間、現実に引き戻される。
「っ!」
アリシアの頬をそっと拭った、少年の手に付く赤い血。自分ではない、誰かの血液。
「お許し……っください……!」
先の映像が瞬時に脳裏を巡り、アリシアは薄汚れた法衣を纏った二人の足下で頭を垂れた。
「彼らを、どうかお許しくださいっ神官様!」
私が悪いのです、あの二人は、私の大切な人達なのです、と泣きながら祈るアリシアに、二人の神官見習いは顔を見合わせたのだった。
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