Ⅶ 月光と影

 

「こーうけこっこーう、あーさでーすよーう」

 

「……ん」

 

「こーうけこ——」

 

「アクア、マリアは寝起きが悪いからあまり刺激しない方が……」

 

「でも殿下、私鶏の真似上手くなったんですよ。こーうけっ」

 

「……おはよう」

 

 朝一番の拳をアクアにかまし、目覚めたマリア。

 

「おそよう、マリア」

 

 時刻は午前十一時、とても“お早う”とは言えない時間帯だった。

 

 カルスで一騒ぎを起こした三人はそのまま町を出、レゼーヌで一番主要な港、アワ港へと足を進めていた。

 

「う……わ、こんなぁ時間? さむい……。もうちょっと寝る」

 

「二度寝が遅刻の原因なんだよー? さあマリア、おっきしなさい!」

 

 るせー寝させろーと足掻くマリアの毛布を楽しそうにひっぺがすアクア。

 

「……新婚さんみたい」

 

「ダーリン起きてっ」

 

「ぬー。すごく気持ち悪いんですけど」

 

 ようやく体を起こしたマリアに、濡らしたハンカチを構えたリンの手が止まる。

 

「ちょ、リン待ってそれ私の顔に乗せようとしてたでしょ! 死ぬよ? 息できないよ?」

 

「死ぬ前に起きるでしょう?」

 

「あれ殿下ちょっとブラック? 寝不足ー? やっぱり野宿はきつかったでしょうか」

 

 見るとリンの目元にはうっすらと隈ができていた。

 

「やっぱりリンはお姫様ねぇ」

 

「マリアだって……」

 

 言いかけた言葉を噤むリン。今のマリアはもう王家の一員として認められていないのだと、それで彼女がどれほどの辛い道のりをこの十年間歩んできたかなど、自分には想像もつかないものなのだろう。

 

「ねえ、マリアは……何で、王室を?」

 

 まるで氷の結晶をそっと息で溶かすように、慎重に発せられたその疑問。

 

「……そうね」

 

 向かい合ったマリアは、育ちを語る優雅な微笑みを見せると、彼らの真上で輝く太陽を立ち上がって仰いだ。

 

「そろそろ進んだ方がいいかしら。……道中のお楽しみって事で」

 

 


 

「アリシアの母親、つまり今のレゼーヌ王妃は、私の母ではないの。母は殺されたわ。……私を殺そうとした罪で」

 

 カルスで拝借した貧相な幌馬車の中、舗装されていない砂利道で音を立てる車輪に負けないように少し声を張り上げて、マリアは言う。

 

 やけに乾いたその声に、リンは彼女の顔を覗き込んだ。

 

「まあ、生まれたばっかりだったから覚えてはいないんだけどね。母は……異教徒だったの」

 

 異教徒は赤子の血を啜るのだという噂。詳しい調査や正式な裁判の場も設けられず秘密裏に処刑された母とその一家。 

 

「王妃が異教徒なんて、笑っちゃうよね。国王もさ、底流貴族と王族の世紀の大恋愛って、それほど愛していたはずなのにね」

 

 葬式も墓も、無かったんじゃないかしら。と呟くマリアの手をそっと握るリン。にっこり微笑んでマリアも握り返す。

 

「私はまだ何も知らなかったから助かった。けど国王と新しい王妃の間にアリシアが生まれて……。それで十年前ね。アリシア派の貴族が元王妃の情報を掘り出したようで」

 

 二つに分かれた王宮。活発化したアリシア派の行動は次第にエスカレートし、とうとう事件は起こった。

 

「鍵をね、渡されたの。すっごく綺麗な鍵だったわ。なにもわからなかった私は、それを舞踏会に着けていった。騙されたの。それは何年も前に盗み出されたリラン帝国国宝の鍵だったのよ」

 

 元よりあまり良くなかった三国間の親睦を深める為に行われた舞踏会。リラン帝国皇帝は、失われた鍵が他国の王女の胸元で光るのを目にした。

 

「リンも覚えているでしょう?」

 

 こちらを向いたマリアと目が合う。

 

 きっとリンも、マリアと同じ顔をしていたのだろう。

 

「私は王位を剥奪されたわ。それで修道院に入れられたの。厄介払い? まあ、アリシア派の思うつぼだった訳よね。でも私は許せなかった……。何も知らなかった私は、全てを知って、抜け出したの。そこで初めて……——」

 

 口を開いたまま固まるマリア。何故か顎が震えて、続けるのを躊躇わせた。

 

「人を、殺したわ」

 

 十三歳の夏。死と闇が濃く香った。月が見ていた。

 

「以来、お尋ね者よ」

 

 月はいつまでも追いかけてきた。時間が止まった様だった。

 

「もう殺し合いも、争いも嫌。リンだってそうでしょ?」

 

 リンの瞳が揺れる。平和な世界。帰る場所。それはずっと夢見ていた事なのに。

 

「でも……アリシアは……」

 

「アリシアはもう……——。……敵なの、だから」

 

 躊躇いの後に発せられた言葉には、確かな憎しみと——。

 

「……そうね」

 

 私はずっとマリアの味方よ、と小さく付け足し俯く。

 

 つないだ手に温かな雫を感じ、マリアはその手に力を込めた。

 

 あの頃に戻れたなら、どんなに良かっただろう。

 

 平和で温かで、三人で笑いあった幼き頃に。

 

 

 傷だらけの心を乗せ、堪えられた嗚咽をかき消しながら馬車は進んでゆく。

 

 


 

「クルックルッポー」

 

 誰もいない部屋に佇む少女が、鳩の足に括り付けられた小さな筒を開く。

 

「ドゥィッヒー、か」

 

 少女はその謎の文面を読み上げると、細かく裂いて足下の暖炉に放った。

 

 

「ウィル様にお伝えしなくては……」

 

 

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<相関図>

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登場人物紹介

 

<本編目次>

 ・Prologue

 ・第一章 戴冠式

  Ⅰ 戴冠式の朝

  Ⅱ 再会

  Ⅲ 絶望のレクイエム

  Ⅳ 幸せのきれはし

  Ⅴ 追跡

 ・第二章 旅

  Ⅵ 桜花

  Ⅶ 月光と影

  Ⅷ 花道中

  Ⅸ 藍玉

  Ⅹ 交錯

  Ⅺ 襲撃

  Ⅻ 道

  ⅩⅢ使命

  ⅩⅣ明かり

  ⅩⅤ

<地図>

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