ⅩⅤ

 

「本当に、大丈夫なの? モラン」

 

「ご心配には及びません。こんなかすった程度の傷で、今更城に戻ったりなんてする訳ないでしょう」

 

「モランさん、あまり無茶したら駄目ですよ」

 

「深くはないと言ったけど、炎症する可能性は高い。縫合もしてないし、もう少し様子をみた方がいいと思うけど」

 

 盗賊との戦いから一夜明けて、今度は周囲の反対と戦うモラン。

 

「昨日は少し疲れが出ただけです。十分に休息を摂りましたし、消毒薬も携帯しているのできちんと管理すれば治ります。それに、護衛が姫様のお傍を離れて、何の役に立つと言うのです」

 

「戦えなければそもそも意味ないじゃない」

 

「何か言いましたか、ローリア」

 

 モランが左肩に負った傷は筋肉には届いていなかったものの、縫合を施していないとなると包帯を巻いてあっても、その場しのぎでしかない。もしもこの先、また襲撃を受けた場合に、激しい動きのできない彼は戦力になり得ないだろう。

 

 目に見えた事実をも否定し、旅を進めようとするモランの心は、強い焦りに追い立てられていた。

 

 ここでアリシアから離れてしまってはいけない、という予感がしてならなかったのだ。

 

『お姉様に会って、話したい事があるの』

 

 三日前、城を出る時にそう言った彼女の、瞳の奥に感じた強い意思。

 

『ごめんなさい……嘘を吐いて』

 

 そう言って顔を覆い、手の隙間から涙をこぼした。弱くて、脆く、優しい彼の主。

 

 銃声や、刃が何かにぶつかる音に震え、暗い穴の中で声すらも出さず、ひたすらモランに縋って泣いていたアリシア。

 

 例え彼女が平気だ、と笑ってみせても、モランには納得がいかなかった。神官候補生の言う通り、彼女は『強く』なったのかもしれない。しかし何故、こんなにも急に。

 

(守るもの、か……)

 

 何かを守りたいという想いで、人はまるで別人のように強くなれる、と武術の師である父の言った事を思い出す。確かにアリシアは、必死で何かを背負おうとしているように見えた。そしてそれは、決して簡単な事ではない。

 

 

 強くならなくても良い。ただ、笑っていて欲しい。

 

 だがモランはその願いを、心の奥底に仕舞い込む。アリシアは一見頼りないが、一度決めた事は意地でも変えようとしない頑固者だった。

 

 

 ならばモランにも、彼なりの意地がある。

 

「私は、私の生が続く限り、姫様をお守りすると誓いました。だから姫様のお傍にいる限り、私は決して倒れません。どうか、私をお連れください」

 

「モラン……」

 

 地面に膝を付き、アリシアの前で跪くモラン。

 

 それは、いつもの優美な礼とは違い、ひしとした執念のにじみ出るものだった。

 

 焦げ茶の地面を、モランは睨みつける。自分の心臓の脈打つ音だけが響くような、緊迫した空気の中に感じた時間は、永遠の様だった。

 

「ありがとう」

 

 不意に、甘い花の香りと温かさを感じた。跪いたモランと同じ目線にしゃがみ、傷ついた左肩に触れぬ様、そっと腕で抱きかかえるアリシア。

 

「ありがとう。でも、無理はしないで」

 

「無理などしておりません。……私はただ、貴女様の為に生まれ、死ぬ定めと決めたのですから」

 

 縋るように囁く彼女の声は、失う事を恐れているのだろうか。やっと見つけた弱さの片鱗に、モランは微笑む。

 

「あーあ。良い護衛持ったよね、アリシア様。この人、何がなんでも付いていく気だよ、きっと」

 

 そんな二人に呆れたように、わざとらしく溜息を付き、彼を嘲笑うかの如くそう言ってアリシアへと目配せするローリア。

 

「もう、モランってすっごく頑固なんだから」

 

 アリシアも、モランと顔を合わせて茶目っ気たっぷりに、にっこりと笑う。それは彼を連れて行っても良い、という合図だった。

 

「姫様……」

 

「そのかわり、もし足引っ張ったら置いてくって事でどうよ、アリシア様」

 

「うふふ。そうねー」

 

「おーマロ……モランさん、やったなぁ!」

 

 立ち上がったアリシアは、未だ地面に膝を付いたモランに手を差し伸べる。

 

「ほら、行きましょう」

 

 その手はモランの慣れ親しんだものとは違い、土が付き汚れていたが、その温かさに変わりはなかった。

 

「はい、姫様」

 

 モランはその手を取り立ち上がると、姫の甲へ優雅にキスをした。

 

 

続き>六月公開予定

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<相関図>

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登場人物紹介

 

<本編目次>

 ・Prologue

 ・第一章 戴冠式

  Ⅰ 戴冠式の朝

  Ⅱ 再会

  Ⅲ 絶望のレクイエム

  Ⅳ 幸せのきれはし

  Ⅴ 追跡

 ・第二章 旅

  Ⅵ 桜花

  Ⅶ 月光と影

  Ⅷ 花道中

  Ⅸ 藍玉

  Ⅹ 交錯

  Ⅺ 襲撃

  Ⅻ 道

  ⅩⅢ使命

  ⅩⅣ明かり

  ⅩⅤ

<地図>

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